2018年1月


~CORVUSのことば~

  定方まこと


厳冬、という言葉がしっくりくる張りつめた寒さが、ここ東京でも続いています。しかし、外の寒さが厳しければ厳しいほど、内側からの熱の力も感じやすいものです。



シュタイナーは、講演録の中で、「単なる情動的な文化衝動をとおして精神世界に持ち込まれるものや、本来錯綜した地上的意識から発生したにすぎないものが火山噴火・地震へと変形して、地球内部から上方に燃え上がります。」という言葉を残しています。




この何年かの間に、人間の言語活動や精神生活、それと結びついた身体運動が、地球の自然や大地、また、宇宙的な運動と具体的な関係を持ち得ることのリアリティが、オイリュトミー的な身体を通して、次第に強く感じられます。同時に、意識しているかどうかに関わりなく、様々な自然現象を通して、人間の内側の身体に向き合わざるをえない時代が来ている、という予感も強くなっています。



皆さま、今年もどうぞよろしくお願いいたします。





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2018年2月


~CORVUSのことば~

   鯨井謙太郒


利己主義と利他主義という、魂の二つの在り方について考えますと、時として、自由への衝動は利己主義におちいり易く、反対に愛の思想は利他的な力であるがゆえに、個体性を消してゆく傾向があるといえます。


昨今、ヘイトクライムやアンモラルな言説が公然と罷り通り社会問題化していますが、自己主張するということは、そもそも自己に非ざるものとしての他者を必要とします。

だから「血」の純潔を叫ぶ民族主義者は、その本質上、利己主義と結びつかざるを得ませんし、また、個人の自由について考える場合も、利己主義をいかに克服するかが大切な問題となります。


だから、個人の自由と、他者の自由が共存する社会とは、互いが利己主義を超えたところからしか実現されえないでしょう。

そのような魂の個体的な力に通ずる利己主義と、普遍性のうちに共感力となって流れ出ていく利他主義的なものを、自分の身体のなかでいかに結びつけることができるか?

このことが、現代においてとても重要な課題であるように思います。


オイリュトミーでは、そのことを呼吸と意識を結び合わせながら行ないます。

たとえば「呼気」を通して、血液のなかに流れている自我の力と、背骨を立たせている垂直の力を掴みます。

また「吸気」を通して、人間の感覚器官の内に働いている利他的な力を受け取ります。

そして繰り返し繰り返しこの「呼気」と「吸気」を結びつける鍛錬を、真摯に忍耐強く行ない続けること、そのような意志的な行為を通して、個体のうちに自由と愛とが結びつく契機が生まれるのです。


そしてその個体の自由な衝動が、他者への愛とともに外へ向かいはじめるならば、それは、利己主義を超えた道徳的想像力による「社会芸術行為」といえるでしょう。



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2018年3月


~CORVUSのことば~

   鯨井謙太郒


呼吸している星

球体の海

あまねく波は渦になり

どこかへ消え、また起こり

大きな波

小さな波

男波

女波

生々流転の数々

宇宙はたえず収縮している?

宇宙はたえず膨張している?

点が宇宙に

宇宙が点に

目覚め、眠り

ふたたび新たな朝を迎えるように

生成されてゆくもの

消失してゆくもの

人間の細胞の

たえまない死滅と新生のくりかえし

過去と未来の糸掛けが

星の角度で現在地を示している



はたして

動いているのか

動かされているのか

たとえば、感情を無軌道にする気象

都会の街の目まぐるしい変化

地軸のわずかなずれが起こす天変地異

今日のランチ

流れてゆくタイムライン

誰も気づいていないふとしたことのなかにこそ

世界を動かす力がある

それは量子力学的な真実

だから眠らず

みずからの為すべきことを知り

為したいと欲し

為す勇気を持つこと

世界が閉じてゆくとき

新しい言葉を開くことが

闇と光の均衡を生む

人と宇宙の呼吸法則



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2018年4月


~CORVUSのことば~

   定方 まこと


生命の芽吹く

新緑の季節

冬の間に事物のなかで眠っていたものが

大地の熱を受けて

外側へと現れる時

社会生活においては

新たな出発となる時期でもあります

みなさんもまたそれぞれの春という季節を

迎えられていることと思います



宇宙紀的なリズムにおける春は

『初めに「意思」があった』

と言われています

内側の世界のリズムに目を向けた時

感じる力、考える力に先立って

まず純粋な意志の働きがあった

ということは

日々の今を生きる

私たちにとっても根本的な問題です

今を生きている自分を

自らが肯定すること

これも意志の力のひとつの現れです

この意志、即ち現実世界の只中で生きていく力は

特に幼少期において育まれます

それは、ひとつには教育を通して

またひとつには、自分以外の人間のそれも含んだ行為自体を通してです

この、人間の内で眠っている意志の力は

生きる力と全く同じものです



果たして

人間が「生きて」いるということ自体がどういうことなのか

機械化、規制、管理化

といった社会構造の変化といった

社会構造変化や

戦争や自然災害の起こっている時代の渦中で

人間が本当の意味で「生きて」

何かを生み出し続けていくこと

そのための種蒔きを

今年度もまたみなさんと一緒に

新しく始めていきたいと思っています 

今月も どうぞよろしくお願いします


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2018年5月  


~CORVUSのことば~

   鯨井謙太郒


「ことほぎの木」が発足してからはや5年目となりました。


毎月、とある場所を定め

決められた時間に集い

日常生活の時間の中に能動空間を生みだし

それをともに共有しようと意識することが

はたして私たち一人一人の生活にとって

あるいは現代社会にとって

いかなる力になるのかということをあらためて問い直しています


と同時に、最近

自分のなかで「生活」という言葉の捉え方が

これまでとは全く裏返りつつあります


社会的日常のなかにある生活

時代とともにある生活

自然と結びついた生活

それらは「社会」や「時代」や「自然」を

一個の身体の生活よりも大きなものとしてとらえた世界観といえます


けれど、この「身体の生活」と世界との関係を逆転させることができるなら

これは大げさに聞こえるかもしれませんが

この一個の「身体性活」から

社会が生まれ

あるいは歴史が作られ

あるいは自然が蘇る事もあると直感します


そして実際

人間の意識は身体と世界との関係を裏返す力を持っています


「今を生きる」ということにとどまらず

意識の力でもって

「今を生き切る」のであるならば

肉体以上、生命以上であるこの魂の力は

時代を切り開いていく源となるはずです


そしてまた「今を生き切る」ということは

刹那的であることとは真逆に

ただひたすら忍耐強く

能動的空間を意識し続けることに他ならないでしょう

そのような魂の力なくしては

すべての生活のなかの

とある時間にすぎないものとなってしまいます


今という時代は

そのような魂の力をことごとく削いでゆく事柄に取り囲まれているともいえますが

私たちの「身体生活」が

社会、歴史、自然に働きかけてゆく場となるように

この、「ことほぎの木」を皆さんと創っていきたいと思います



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2018年 6月


~CORVUSのことば~

   定方 まこと


ことほぎの木のみなさま


梅雨、あと少しで7月というのに、東京も寒い日が続いています。いかがお過ごしでしょうか。


人はなぜ、声を、言葉を、この世界に向けて発するのか


という問いと、


人はなぜ、この世界に生まれ、生きて行くのか


という問いが、オイリュトミーにおいてはほとんどが同義である、ということを思います。そう思うことから拡がって、


人と人はなぜ、出会うのか


人と人が、この世で結ぶ関係性とは何か


と考えていくと、ひとつの時代の終焉と、もうひとつの時代の創造を同時に担っている私たちが、今、オイリュトミーの身体づくりを通じて出会っていることが、ますます切実に感じられます。


今月も、どうぞよろしくお願いします。


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2018年  7月  


~CORVUSのことば~

   鯨井謙太郒


ことほぎの木の皆さま


今年の夏は、東京では早くもうだるような灼熱の日が続いています。


これまであまり日本を旅することはなかったのですが、たまたま、この1年ほどの間に東北、中部、関西、近畿、中国地方のどを巡る機会がありました。

月並みな言い方ですが、地域による自然文化の異なることに驚き、日本の広さと奥行きを想いました。


「地続き」という言い方がありますが、最近は身体感覚的な実感を持って使われることは少ないような気がしています。

その昔は飛脚を遣わせたり、馬です移動したり、情報の伝達にも身体が伴っていました。今はリニアモーターカーが走り、世界中どこにでもネットを通してコミニュケーションがとれますし、どこかで起きている事が、映像・SNS・新聞など多元化したメディアによって情報として溢れてはいるけれど、果たしていま立っているこの身体の地続きなリアリティーがそこにあるのかは疑わしいものです。


リアルな身体感覚が存在しない世界、それは「身体なき身体」の世界と呼べるかもしれません。「身体感覚」というのは、魂の生きた時間軸と共にあるものですが、魂的な断絶によって、この有機的な時間の流れから人間が離れていくと、身体の外に広がる自然界からも、生命の流れが消えていくような気がします。


現在、切り刻まれた自然空間が増えているのは、人間の内面にも外面にも、生き血を吸う吸血意識が蔓延しつつあるからではないでしょうか?


だからこそなおさら、生き生きとした魂の豊饒な力を余すことなくこの身体に注いで、魂の熱とともに生活したいと願っています。


みな様、今月もどうぞよろしくお願い致します。


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2018年  8月  


〜CORVUSのことば〜  


定方 まこと


今年の東京の夏は、自然の強さを思い知らされるような暑い日々が続いていました。台風の訪れと共に、朝晩、少しながら秋の気配が感じられています。夏から秋への移り変わり、いかがお過ごしでしょうか。


少し音楽の話です。今までの人生で自分が触れたことのある、少しは鳴らしたことのある楽器は、普通の人よりたくさんある方です。自分にとって関わりの深いピアノから、ライアー、フルート、トロンボーンやトランペット、チューバなどの金管楽器、それからヴァイオリンとチェロをほんの少し。みんなそれぞれに、音を鳴らす仕組みが違います。特に管楽器は、C管、F管、B♭管など、それぞれ別の基本的な「ド」を持っています。言ってみれば、違う身体言語を持っている別の人種のようなものです。ですから、同じ一つの音を鳴らすのでも、この楽器はこうだけど、この楽器ならこうという様に、身体のなかで瞬時に翻訳しているような感覚があります。


最近、不思議に思うことがあります。それは、オイリュトミーでひとつの音を身体から響かせようとする時に、それが今まで自分が関わってきた音楽的な身体言語のひとつ、つまり身体を楽器にするということではなくて、全ての器楽的なものの根底に流れる、純粋な一音として身体が響く、という感覚です。それは、様々な人種の様々な民族言語に別れて在る言葉と、その根底に響く純粋な母音・子音の響きとの関係とほとんど同じようなものです。


言葉でも音楽でも、個人の身体が純粋にひとつの響きに向き合うこと、これは、合理性や意味や理由のなかで動いている社会の流れに打ち込まれる、ひとつの楔のようなものなのかもしれません。


今月もまた、どうぞよろしくお願いします。



∞∞∞∞∞∞∞∞∞

2018年  9月  


~CORVUSのことば~


 鯨井謙太郒



ことほぎの皆様へ

日々の生活のなかで、ある行為を行った当人にも、その行為の本当の動機というものが謎に包まれているようなことがあります。


いや、ほとんど私たちの生活のなかの行ないのすべては、無意識のうちに身体が行なっている事ばかりと言えるでしょう。

呼吸や、心臓、胃腸の働き、細胞分裂においてはもちろん、日々の姿勢や手足の動き、日常生活の身体のほとんどは、無意識の領域に委ねられています。

それは心の動きもそうといえるかもしれません。
誰かのふとした一言で急に気分を害したり、あるいは、思いがけない友人とばったり出逢っただけでも気持ちが明るくなったりすることはよくあります。

だから日々の行ないと感情生活が、共に無意識の働きに大きく委ねられているという意味では、共通しているといえるでしょう。

身体にとっては、ウィルスのような眼に見えない極小の働きであっても、その影響力は生命を脅かすほど絶大です。
人の心の機微というものも、悪魔の微笑のようにスッと入り込んでくる働きの方が、無意識にその人の感情生活を支配するということがあります。

ところで、オイリュトミーを深めていくと、昼間、目覚めている時の現実生活と、睡眠中の夢の体験とが交わるような感覚になることがあります。そういう時は、夢の出来事が、現実の生活圏にも影響を与えているというような感じがあります。

もしかすると、大海の波の上の小船のように、深い夢の底を流れている潮の流れから、私たちの現実生活は常に働きかけを受けているのかもしれません。

ですから、無意識からの働きかけに常に揺れ動かされつつも、現実の底を流れる潮の目を読み、しっかりと舵をとり生活したいと思っているのですが、これはなかなか困難な事だと思わされることも多いです。

そのためには、日々の感情生活を少しでも明るい意識で照らしていくたゆまぬ努力が必要になるでしょう。

自分の手足の行ない、口から発せられる言葉、そして心の動き。まるで修行のようですが、それらを少しでも明るく輝かせる事が出来れば、それはきっと、無意識の海の底を照らす灯火になるかもしれません。

そしてその明かりは、個的な生活の上の小舟だけではなく、世界に向けても確固とした明るい波を生むのではないかと思っています。
無意識のなかでは、時間も空間も隔たりなく一つに結びついているのですから。

オイリュトミーは目覚めながらに夢の生活圏に参入していくことで、いま、この世界で起きている全ての事象に対して、一つの意識の明るさを投げかけることになるでしょう。

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2018年  10月  


~CORVUSのことば~


 定方まこと


秋から冬へと、足早に季節が過ぎていきます。ちょっと気をそらすとすぐに変わってしまう、夕暮れの空の様な速さです。


昔話や神話、メルヒェンの中には、季節や月を人格的な存在として描いているものがあります。秋から冬へと移る感覚で、私たち日本人にとって身近な例えで言えば、冬将軍、北風小僧、などでしょうか。

そのような、季節や自然に対する古代人的な感覚で周囲に目を向けてみると、普段の現代的な社会生活を営んでいる時とは全く違った世界が感じられます。それは、季節に伴う寒暖や、雲の動き、植物の変容、また、潮の流れの変化や、火山の噴火などの自然の働きだけでなく、私たち人間の無意識の変化やテクノロジーの発達、また、それに伴う時代の感覚の移り変わりなど、全てものの内においてです。

私たちが無意識に自然、あるいは世界をみている時、そこではたくさんの人格的な存在が働いています。そして時たま、人間にちょっかいを出してきます。まるで、メルヒェンの小人のように。

ところが、私たちが自然や世界のいろいろな働きに対して意識的になると、本当の姿を見せてくれるようになります。それは例えば、オイリュトミーで四大のエレメントについて学ぶ時において、です。


それにつけても、今の世界で、私たち人間の意識の及びにくい、機械的な領域のなんと多いことでしょうか。。


今月も、どうぞよろしくお願いします。

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